死ぬ気でやるってのは負けること前提の弱者の思考だよ。負ける覚悟してどうするよ?勝ちたきゃ殺す気でやるんだよ。死ぬ覚悟ができるぐらい意志が強いなら殺す覚悟だってできるさ。死ぬ気でやるな。殺す気でやれ。負けるな。勝て。
— Testosterone (@badassceo) 2018年11月13日
死ぬ気でやるな。殺す気でやれ。「裏切られるのが怖い...」ではなく「裏切ったら潰すぞ」というマインドを持て。人生は常に強気でいかねばならない。食う側と食われる側がある。食う側になれ。弱々しい奴はあっという間に狙われて食われる。弱気など必要ない。強気だ。強気でいくのだ。強者になれ。
— Testosterone (@badassceo) 2019年3月30日
金言の主 Teststerone様の著書はこちら
こちらの方が詳しく書かれています。
本日の金言
しかし、これを聞いた途端なんですが
なぜ指導者たちやブラック企業は「死ぬ気」を推奨するのでしょうか?
不思議に思いませんか?
まず、死ぬ気からして精神論として寸止め
なぜなら、「死ぬ」という発想からして
自殺というベクトルであり、負の方向であり、
敗者のベクトルだからです。
しかし、なぜわざわざそんな負のベクトルを推奨するのでしょうか?
それでも死ぬ気を推奨する理由
簡単な理由です。逆襲されたくないという保身からです。
だから暗記中心、組体操なんてもんを学生時代にやらせて、大人になったら低賃金重労働長時間なんてもんをやらせ、死ぬ気を推奨するわけです。
まず、強氣になるには?
やはり今いる敵を「殺す」という気概が
残念ながら必要になってくるのではないでしょうか?
死ぬ気の推奨は結局のところキリストユダヤの悪魔のささやきに通じるのだからその逆の
「ぶっ殺す」という気概がこれから大事になってくると思います。
今の日本に必要なのは「殺る氣」
正直、今の政治の暴走を許しているのは
「国民に舐めたマネしたら血祭りにあげるぞ」という気概が我々には足りないように思います。
今あるデモですら「政権を殺す」という気概があまりにも薄い。
困難は耐えるものではなく「その幻想をぶち殺す」くらいで望まなければいけない。
そろそろユダヤキリストのいいなりになって
「死ぬ気」を背負うのはこれっきりにしよう。
取り戻そう「殺る氣」を。
殺る氣とは
やられたらやり返す 倍返しだ