どうも奴らの描く鉄血の結末の
「デコレーションを全部引き剥がした」
生のテーマは何だったのかをずっと考えてはいたが、どうもこのリンクを見てから
あるこじつけができてしまった。
- まずこのリンクを見ていただこう。
- 鉄血の終盤のテーマは「死ね」
- 終盤の展開のロジックはまさにフランダースの犬である
- 前半の鉄華団の行動ロジックは何故支持を得たのか?
- 何故彼らは鉄華団を悪と言い放ったのか?
- ラスタルが平和にしたという筋はまるでキリスト教の教えそのものやろ?
- キリスト教の機関紙が岡田麿里の自伝に寄せたことが決定的
まずこのリンクを見ていただこう。
眼前の苦難から抜け出せないと思い込んでいるすべての人へ | レビュー | Book Bang -ブックバン-
発行元が「キリスト新聞」である。
この岡田麿里の自伝にキリスト教の機関紙が
寄稿していることから、岡田麿里とキリスト教の思想の類似性という観点をあえて前提として見る。
終盤の展開のロジックはまさにフランダースの犬である
ここで鉄血の終盤のロジックを冷静に見てみると「ただ主役側が圧倒的な力に虐げられて終わり」という見ていてつまらない展開に終始する。
実はこれ名作劇場のフランダースの犬と
ほぼほぼロジックが同じなのだ。
三日月の最期の「居場所はここにあったんだ」というアレ。教会で息絶えるネロとパトラッシュとほぼほぼ同じではないのか?
前半の鉄華団の行動ロジックは何故支持を得たのか?
怒りは正しく行使しなくてはいけない。
CGS3番組反乱の時からそれは理に適っていたこと。
三日月をはじめ彼らは怒りを正しく行使していたことをまず頭に置いておいて欲しい。
何故彼らは鉄華団を悪と言い放ったのか?
しかし、これに耐えられなかったのが当の岡田麿里であり、長井龍雪であり、小川正和である。
そんな彼らを悪と罵る彼らはまさにキリスト教の思想に骨まで染まってるのではないのか?
どうせ表面上の残酷さだけで判断したのだろうが。